昭和44年07月01日 朝の御理解



 御理解 第59節
 「習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をしたということはない。覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。おかげを落としては、神も喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。」

 習うたことを忘れて戻しても、師匠がどれだけ得をしたということがあるかと、仰るのは、本当にあのう教えた事を覚えておってもらう、それだけではないその教えた事を元にして、またそれから新たな信心。例えば信心で申しますと信心が出来る。私はここで修行なさる方達にいつもこれ言う事ですけれども、あなた方がね腰掛けでここで修行するなら私は断りだと。腰掛けにはなりたくない。けれどもあなた方がね、より伸びられるためのいわば、踏み台足継ぎにゃ私はもう喜んでなろうと。
 いうなら私の信心を本当に頂いて下さって、私の信心を土台として、そしてそれからまたこりゃ私には出来なかった、あなた方の信心がそこから新たなこのう進展というかね、展開がなされるなら、私はもうこんなに嬉しい事はない。有り難い事はない。と申しますようにそういうおかげを頂いて下さる方こそ、そのう私は有り難いと思うんです。ところが習うておるから知ってはおるけれども、それを例えば忘れるではなくてから、それを使おうとしない、行じようとしない、自分のものにしようとしない。
 それでおかげの堂々回りをしておったんでは、ここの場合はですね私は嬉しいこたぁない。こんな悲しい事はないのです。ですからここでは私と皆さんの事を通して聞いて頂きたいと思うんですけれどもね。そこでね私がそんなら教えておる事、私が皆さんに分かってもらいたいということね、それをひつ皆さんがはっきりと把握がせにゃ把握出来て、そこんところへ本気で取り組んで頂くと、いうおかげを頂いてもらいたい。
 私は昨日期せずして二つの教会の事を聞かせてもらった。もう教会の名前を申し上げると実感があっていいんですけれども、まぁそんな事ですからあまり申し上げられません。やっぱり北九州です、一人の所なんかはまぁ合楽の先生と、あんまり拘らんことと気がしとると人が言う位にですね、まぁなんにも出来なさらん先生です。それこそ馬鹿んごとしちゃるということなんですね。それでもある人がまぁ次々にとお話をしてですね、非常にそのう信心がそのうよそより進みましてね。
 そしてそのう丁度ここの御晋請の後でしたでしょうかね、思い立たれまして、とにかくその教会じゃもう珍しい三千万円からの工費をかけてから、お広前が出来たんですよ。お広前のこんどはできたんですよ。はぁとても皆んがそれこそたまがって、それこそ羨望の的でしたですね。それだやっぱり中にゃあれがと言うて、まぁいろいろとまぁ非難した人もありましたでしょうった様でしたけれどもですね。ただしだから出来上がるのは出来上がったんです。ところがその先生がコロッと亡くなんなさったんです。
 これもやはり北九州です、それもやっぱり二、三年も掛けなさったんじゃないでしょうかねぇ。そこは出来上がるそのう落成を見らずして、親先生がコロッと亡くなんなさったです。そこも立派な教会が出来たそうです。やはり又現在でも御比礼がやっぱり立っておりますけれども。やはりそこでここもこげな立派なお広前が出来たけんで、私もコロッしまるように成就しなさいと、いようにまぁ皆さんもきょうな事から繋がる事か知れません、又神様がそういうことを私にまぁ言うて下さったのかも知れません。
 これはしかしそういう例は非常に多い事ですよね。もう本当に私が一生一代の内に、桧の木の香のぷんぷんするごたる、そのう神殿御広前を作らせてもろうてね、神様に喜んで頂かにゃといったような願いを持っておられる先生方ん所ですね、それが着々とそのう進められそれが出来るとです。もう安心しなさるのかなんか知らんけれども、出来上がったのをから途端に病気になられて、亡くなられるといったような例はいくらも有ります。ところがそこに私と違うところは。
 私なんかいっちょん一生一代の内にどうでんこうでん、立派な御広前建てるてんなんてん、夢思わなかったんですもんね私は。合楽ではあのう椛目の時代、小さい御信者さんが私が信者の時代に拝んでおったあのうお宮でです、これでいいと、これでいいと。ただ問題は助けを求めて来る信者の座る場だけは広うせにゃいかん、というのでもう継ぎ足し継ぎ足しで、あのう椛目は広くなったんですよね。だからそこんにきもちょっと私とは違う。人からやぁやぁ進められたからでもない。
 そんなことをね、昨日二つも聞かせてもろうてから、本当に惜しい事だなぁ。立派な先生でありしかも人もどんどん助かって、しかしそういうなら御神殿も出来るというような御比礼を頂かれた先生が、コロッと亡くなんなさるてんなんてんほんとに惜しいことだなぁと私は思うてね、その事を思わせて頂いとりましたら御心眼に頂く事なんです。まぁこれは神様ですね。まぁ紋付き袴を着けた、いわゆるまぁ立派な師匠か。剣道のこう真剣勝負をしようという感じの所をですね。
 まぁそのうそれは刀ではない木剣でしたけれどね。その木剣をこう構えるじゃなくてまだ構える前にね、準備をしょんなさる。こちのいわゆる偉い先生らしい人が。ところが向こうの方でそれに打ち向かおうという人がですね、もういらいらと苛立っとるもんですからですね、まぁだこっちは準備が出来とらんとにボーンと打ち込んでいった。勿論こちらの方は神様恐らくこれは神様神様の事ですから、それを受け漏らしなさる様な事はないけれども、それが気感に適わんと仰る。
 もうここんところで今日私は、本当に皆さんがね私がいっつも申し上げておる信心をね、これだけは体得しといてもらわなきゃ、これだけは覚えておいておかげを頂いてもらわにゃならん。でないとねそういう怪我になるです。なるほどそういうような御比礼の立つ教会ですから、神様もですね、本気でやはり真剣に御広前の建立くらいの事は考えとんなさったに違いない訳ですね。だから準備くらいは有りよった訳ですこれに。それに向かって例えば相手の方がですね、例えばならその先生がですね。
 はぁもう合楽も出来た。合楽も出来たもうその合楽が出来た後ですからね、その急ぎなさった訳ですよね。それで相手がまぁだ真剣に構えても神様がおられんのにですね、打ち込んだ。そういう卑怯な事をするから怪我をした。神様が受け損じなさる筈がなか、神様もねそういう御比礼の立つ教会ですからね、御広前ぐらいなことは、これはどうでも早晩建てさせてやらなきゃなるまいと考えござるですよ。まぁ準備しござるとこじゃ。それを準備を待たずしてですね。
 いわゆる成り行きを待たずして、成り行きを大事にせずして始めた事が神の気感に適わんとですよ。私はそれを聞かせてもらってね、もうそりゃ個人個人の家はともかくとして、教会という所はとりわけですね、そうした生き生きした御比礼が輝く所は、今頃から私が申しますように、もう生きた電気がもうね生きた電気がこう、いうならば八重十文字に働いておる時ですからね、所ですから教会と言う所は。それももうそのう枯れ果てたごたる教会ならいざ知らずですけれども。
 そういう生き生きとした御比礼が輝くような教会なら、必ず生の電気というかね、神様が生の働きをそこに下さってある時なんですからね。そんならここでも私を通して皆さんの上にですよ、生き生きした神様の働きを頂いておる体験が、頂いておられるならここんところを大事にしなければならないということを、ひとつ分かって頂きたいと思うんです。そこんところを私はもう本当に、本当にいろいろこれはもう私しゃ身をもっての、その事をお詫びすることが有るんですよ。
 まぁだじゃろうかまぁだじゃろうかと言うて、その急き立てる様な内容ですものですから、もう本当にまぁ待ちなさいと言う言うたっちゃ、いうことを聞かんごたる状態のところが沢山あるんですよ。ここでも。私はあのう一カ所目の教会の事は、亡くなられたこと半ば亡くなられた事を私聞きましたけれどもね、そのう片一方の方のそのう私よりさぁ馬鹿んごたる先生ちゅうこんことは私は知らんじゃった。昨日聞いて始めてびっくりしました。はぁあれ程いわばもう異色のある教会ですよねいわゆる。
 異なったそのう先生である、異った御比礼の輝いておった話を聞いておった。ところが御晋請が終わった終わったら先生が亡くなんなさった。まぁだ若いんですよ。だからそれは私の生き方と少し違う所も有りますがですね。そんならそのどういうことでそういう、なら神様としてもですよねぇ、そういう所ならいよいよ御比礼が輝いて、いよいよ人が助かって行くことを願いとしておられるのですけれどもです。肝心要なところでいわば地団駄踏むように慌てた訳ですよ。
 しかも神様に対して御無礼打ち込んでいった。まぁだ神様が真剣に構えてもござらんのに、まぁだ準備しござらんところへもってって、打ち込んでいったようなもんです。その御無礼それが神の気感に適わん。そこでそんなら私共がですね、誰でもおかげ頂きたい。やっぱりおかげ急ぎというものを誰でもしますけれどもです、そのおかげ急ぎをするのでなくて、その間本気で信心を頂いてです、どういう信心をさせて頂くかというとです、いわゆる「天にまかせて地にすがれよ」であります。
 この「天にまかせて地にすがれよ」ということは、非常に範囲域が広く、今日私が皆さんに聞いて頂いておる意味合いは、今迄とは全然違った意味合いなんですよね。例えばあのう原さんの所の昌一郎さんが、もういよいよ今日は難しいかという時に、親戚の人達皆んなが御葬式の準備をして集まられたと。医者が来ても来てもべつに薬も受付なければ、注射も受付ない。もうこれはいよいよこれでお終いという時に、原さんがちょうど月次祭の晩でしたがねぇ。
 ランニングシャツ一枚でもうそれこそもう青うなって、お月次祭が済んで私が一服しとるところへやって参りました。「親先生私にほんな事を教えて下さいち。もう死ぬなら死んだっちゃよございますと。もう実際は半分は死んどりますち。先生ほんなこつを私に言うて下さい。」ちゅてと私に詰め掛けるように言われました。それで私はその時、まぁだその若い時ですから、「私はね半分はしまえとる。半分は死んどるならもうしまえとるじゃないの。」って私がね。もう半分な諦めとるち言われましたほんに。
 だから「半分は諦めて半分は死んどるなら、もうしまえとりじゃないの。そんなら神様にお縋りするこたぁないじゃないのっち。そげんこつ言わず帰ってからあなた方の裏の畑どん座って、私も一生懸命お願いするけん、それこそ天に任せて地に縋りなさいっち。」で私がその時申しました事をその通りに覚えております。そういう時にこの天にまかせて地に縋れと言った様な事を、頂いてまいりましたですね今迄は。けれどもこの天にまかせて地に縋るということは、これが今日私が言うここだけは。
 皆さんがね師匠から教えられたところはもう、これだけは教えられておるのですから、これを自分のものにしてそれを忘れずにそれを行じてです、そして先生こういうおかげを頂きましたと言うて下さって始めてですね。神も喜び金光大神も喜び師匠も、氏子も喜びということになるのです。ですから天にまかせるということはね、いわゆる成り行きに任せるということなんですやはり。天にまかせて地にすがれと。
 いわゆる成り行きを大事にするということをです徹底、天に任せて成り行きを大事にさせて頂くということと同時に、地に縋るということはどういうことかというと、その間おかげ急ぎをするというのではなくてです、そこを大地にひれ伏したような信心させてもろうてね、そこんところを大地にすがり抜かせて頂くような気持ちで、時期の到来を願うということと同時にですね。私自身の信心をいよいよ本当なものにお育て下さいという、私しゃ願いを持つと気であると。
 地にすがれとは私はそういうふうな頂き方を、今日の場合しなけりゃいかんとこう思うのです。もう親先生があげん言いなさるけんでお任せしとると。時期の来るのを待っとると。これは天にまかせたのですけれども地に縋りょらん。地に縋るということは、いよいよ本当の信心を分からせて下さいという願いになる。私は今日は実は朝からもうなんか知らんしれしれ笑いたいごと、気分の良ぉい朝でございます。もうなんか嬉しゅうして嬉しゅうして応えんという感じです。
 それはね今朝起きうと思いすなら起きうと思うに、ちょうど二時半でしたから二時半に起こして頂いた、そん時にですね私の心耳に響いてくることが「骨董趣味をやめよ。」と頂いたんですよ。ここにはどこに行っても骨董品ばぁっかりある訳です。私が好きだから神様がやっぱりこう。ですから例えばほんなら最近菊栄会当たりで、その私をまぁ大祭の後なんかにあぁして、いろんなとこへ案内してくれます時にゃ、やっぱりその骨董屋がありゃ骨董屋に寄って。
 そのう先生が好きなもんが有るならその買わせて頂こうと、窯元巡りなんかしてからやはりそのう、焼き物なんかでもまぁ買わせてもらう。もうそれが先生の唯一のいわば楽しみだから、今日はそれをさせて頂こうというふうに、まぁ皆さんがこころ配って下さった。私もそれは実に楽しみであった。まぁ神様が別に出て歩く訳じゃなし、家で楽しませてもらうんだから、ははぁこれは許して下さっておるなぁとこう私は今迄頂いておった。ところが今日はっきり骨董趣味を辞めよとこう頂いた。
 そしたらもう心が嬉しゅうなってですね、ならこりゃ骨董趣味が辞められるということです。いわば私のね私の例えば自由の世界がそれだけまた狭まった訳です。狭まったということはそれだけ神様に近付いたということです。もう今日は今朝はもうその事が嬉しゅうて嬉しゅうてたまらん私は。はぁそげなまぁだ五十位の若さで骨董、いわゆる骨董趣味位はお許し下さいとそういうものが更々ない。本当それが嬉しい、骨董屋廻りしたいやそのう窯元巡りやらもうせんで済むようになった。
 私が最近申しますようにね、御心に添いたい御心に添いたいという一念がですね、ははぁそれが御心に添わんのなら、もうそれが嬉しゅうしてこたえんそれを取り除く事。私は今日はそんな気持ちです。いわゆるですね、天にまかせて全ての事は天にまかせて、神様に成り行きに任せてです地にすがるということはね。いよいよね神様の御心に添い奉りたいと添い奉りたい、神様の心が分かりたい、神様の心を自分の心として頂きたい。その為にここば改めなければいけんなら改めも致しましょう。
 ここが研かないかんなら磨きも致しましょうと、磨く所改まる所を指摘されたら、それが嬉しいくらいにならせて頂くことをです、私は縋っていくことが大地に縋っていくことだと思う。天にまかせて地にすがるとはそういうことだと思うです。もう私はだから本当に私は今日を限りに骨董趣味を止められる。それけんというて今迄頂いとったものを放ってしまうという訳じゃないですけれどもね。合楽で私はいよいよ何を会得したか体得したか、親先生の信心のどこを頂いたかね。
 全ての事がです天にまかせて地に縋れれる信心をです、内容細やかにですね様々な角度からです頂いておるというそのことを、師匠はいつも教えられたと例えば皆さんがそこんところを体得してね、そこんところからおかげを頂いていかれて、このようなおかげを頂きましたというその上にまた皆さんの、こりゃ皆さんのまた特別の信心、これは皆さん一人一人でなければ出来ない信心の個性とでも申しましょうか、そういう良いものをいよいよ伸ばして、その上にまた一段おかげを受けて行かれるような。
 おかげを頂いて始めて、神も喜び金光大神も喜びね、いうならば師匠も喜び氏子も喜び皆さんも有り難いという、これだけは合楽でなからなければ教えてもらえないところであった。これだけはきっちりがっちりと受け止めさせてもらい、がっちり自分のものにしたいと、いうところまでひとつおかげを頂いて頂きたい。そしてとりわけです、私がこういう信心の伝授を受けておる訳でございますからね、例えば他の教会の例の御晋請があって亡くなられたという例を申しましたが。
 そのように実を言うたら厳しい事なのですから、いよいよ土壇場の時に慌てるような事のない、いわば神様がもう準備お願いしますと言うて準備しござるのに持って来てですよね。それに打ち込んでいくようないわばそのう、慌てた事のないようなおかげを受けて欲しいと思います。私が明けても暮れても申します事は、ただ今申しましたようなことでございますが、今日はとりわけその御神訓「天に任せて地に縋れ」ということを、今迄は原さんの例を取って話しました。
 そういう意味合いに頂いておりましたけれども、もうこれこそ合楽の信心であるということです。天に任せておく。そして任せただけじゃあでけん。地に縋るところのいわば修行、その地にすがる時の修行こそがいよいよ有り難い。これは久富正義さんが大変難しゅはなかじゃろうかというごたる病気をした時に、やっと御礼参拝をさして頂いた時に、あの人が頂きました教歌の中にですね、「雨風も天に任せて地に縋り、忍べ折れるな若竹の節」という教歌を頂いたことがあります。
 それをすぐ久保山先生が短冊に書かれてから正義さんに渡されました。恐らくそれは正義さんがたにとってあると思います。雨風もいわば天に任せて地に縋る。雨風ということはどういう難儀な時でもということです。しかもその地にすがりですね、はげめそこ私はちょっと忘れましたが、はげめとにかく折れるなね、どういうけんにも折れるな若竹の節。そこんところが私は地に縋っていくことだ。素直心というものをですね。竹のような素直心をですそれを折ることなく。
 その素直なこの事だけにゃ素直にゃなれんといったような事ではなくて、どういう雨風の場合でも本当に親先生まかせにといったようなね。いわゆる神様まかせと言った様なね信心をいよいよ身に付けて、おかげを頂いていかねばならん。これは私の信心を本気で頂いて下さろうとする方には、これをもう返す返す申しますことでしょう。子供達にでもこのほかの信心はともかくこのこれだきゃ覚えておけと、私しゃ教えておきたいと思うのですね。その上にですまた良い信心はたくさんございましょう。
 だからそこんところをいっぺん体得して、そこんところを戻すことなく忘れる事なくね、おかげを受けておかげでこの様なおかげを受けましたと言う様なところまでです、おかげを頂き抜かせて頂かにゃいけません。どうぞ天に任せて地にすがれ。でそのうところをですね合楽で言う成り行きを尊ぶとか、成り行きに任せるとかと大事にすると言った様な事を、今日は特にその地に縋るというところを頂いた訳でございますね。
   どうぞおかげを頂きますように。